イオントラップを用いた強結合プラズマの物理と応用
イオントラップとは、荷電粒子を限られた空間に長時間閉じ込めるための装置のことで、その多くは高周波電場を用いる高周波イオントラップ(Paulトラップ)と静磁場を用いるPenningトラップに分類されます。我々は高周波イオントラップに閉じ込めた極低温イオンの基礎的な物性研究および応用研究を行っています。
図1 高周波トラップの概念図 |
図2 イオントラップ内部の四重極ポテンシャル |
イオントラップに閉じ込められた荷電粒子系の重要な特徴として以下の2点に注目し研究を進めています。
- ・外界との相互作用が小さい
- ・系に出入りする物質およびエネルギーを制御することが出来る
これらの特徴により、閉じ込められた荷電粒子系の物性を精密に測定するのに適した系を実現することが出来ます。一般的にイオントラップは10-10Torr程度の超高真空中で用いられることが多く、その中に閉じ込められた荷電粒子系は外界との相互作用が小さい状態に保たれています。近年、レーザーを用いてイオンの温度を制御するレーザー冷却技術をイオントラップと組み合わせることにより、イオンを超低温(数十ミリケルビン以下)に冷却することが出来るようになって来ています。
高周波イオントラップは、電極形状を変更することにより、容易に様々な形状の閉じ込め空間を生成することができます。電極構造に違いは有っても閉じ込め原理は共通です。もっとも基本的な構造を持つ高周波トラップは図3のようなリング型電極の上下をキャップ電極で挟み込んだ電極構造をもちます。このイオントラップでは、micromotionが全ての方向にあり、高周波加熱の影響を受けないのは中心の1点のみです。一方、図4は棒状の高周波電極と終端のDC電極を用いた例で、径方向の閉じ込めは高周波電界で行い、軸方向の閉じ込めは直流電界で行います。このタイプの閉じ込めでは、軸方向の運動に対するmicromotionの影響が小さいことが特徴です。図5はリング型高周波電極によって終端の無いトーラス状の閉じ込め空間を生成するリング型トラップです。図6は、これまでに作製した直線型およびリング型イオントラップの写真です。
図3 四重極トラップ |
図4 リニアトラップ |
図5 リングトラップ |
図6 高周波イオントラップの例 (1)直線型、(2)リング型 |
多数イオンを用いる研究
イオントラップに閉じ込められた多数個のイオンをレーザー冷却法で極低温に冷却することにより、これまで実験室で実現することが難しかったパラメータ領域のプラズマを生成することが出来ます。レーザー冷却されたイオンは、荷電粒子間のクーロンエネルギーと荷電粒子の運動エネルギーの比Γが1よりも大きい強結合プラズマと呼ばれる状態になります。図7はΓによって実験室および自然界に存在するプラズマを分類した相図です。
図7 実験室および自然界に存在するプラズマの相図 |
図8 直線型高周波イオントラップ(macro ion trap) |
図9 プラズマの相転移 |
図10 ICCDカメラで撮影したクーロン結晶の画像 |
プロセスプラズマ、磁気核融合プラズマ等、通常の実験室プラズマはΓが1よりも非常に小さく、弱結合プラズマに分類されます。Γが1を越えるとクーロン相互作用が重要な働きをする強結合プラズマになります。我々は、イオントラップ中で生成された強結合プラズマの温度、密度、粒子数を制御し、理想化された環境で強結合プラズマの統計物理学的な特性を調べることを目的としています。図8は、多数イオンを用いた研究を行うために設計・製作した直線型高周波イオントラップです。この装置を用いて閉じ込めたイオンをレーザー冷却することにって得られたスペクトルが図9です。冷却に用いているレーザーの波長を低周波側からイオンの共鳴周波数へと掃引したときに、イオンの蛍光強度が一端小さくなっています。これはプラズマが固相へと相転移したことを示しています。図10は極低温に冷却されて結晶状態に相転移したプラズマのレーザー誘起蛍光画像です。それぞれの点が1つのイオンによる蛍光で、7個のイオンからなるクーロン結晶であることが分かります。
少数イオンを用いる研究
ここでの小数イオンとは、1個から10個程度のイオンの集団を指しています。いっけん調和ポテンシャルに閉じ込められた小数個のイオンの運動は簡単に理解し制御出来そうですが、実はそう簡単な話では無いようです。イオントラップ中のイオンをレーザー冷却法によって極低温に冷却することにより、従来からイオントラップを用いて研究が行われていた周波数標準や精密分光の精度が桁違いに向上しました。最近では、閉じ込められたイオンの運動を完全に制御することが可能となり、イオンの内部状態および量子化された集団的運動を制御し量子ビットとして用いる蓄積イオン型の量子コンピュータの研究も進められておいます。2003年には基本的な量子ゲートの動作が確認され、2005年には量子演算による検索アルゴリズムの動作も確認されています。しかし、イオンの制御性を考慮すると一度の演算に用いる相関を持たせた量子ビット数を増やすのには限界があると考えられており、現在では小数個のイオンを用いるゲート演算モジュールを半導体デバイスの微細加工技術を用いて集積化することによって実用的な演算能力を実現する方向へと向かいつつあります(Wineland, nature 417 (2002) 709)。我々の研究室では、半導体微細加工技術を用いた微小イオントラップの作製技術の確立、微小なイオントラップへの効率的なイオン導入法の開発等の集積化されたイオントラップの為の技術開発を行っています。この研究を行うには、微小イオントラップの作製に必要な半導体デバイス作製で培われた微細加工技術、微小空間に閉じ込められたイオンを制御する高度な光技術が必要となります。図11はGaAs基板を用いて試作したトラップ電極を組み込んだ小型イオントラップです。
図11 試作した小型イオントラップ(miniature ion trap)