精密分光技術によるプラズマ中の流れ計測
実験室や自然界のプラズマを観測し、その振る舞いを理解することは、プラズマ物理の主要な目的の一つとして長年に渡って研究されてきました。プラズマは電荷を帯びた粒子の集合であり、その集団としての運動は電磁的な相互作用が支配すると考えられてきました。ところが、最近になって荷電粒子と中性原子の相互作用がプラズマの構造形成に重要な役割を担うような現象が見つかり、プラズマ中の中性原子の運動が注目されて来ています。
図1は核融合科学研究所(NIFS)のHYPER-I装置で観測されたプラズマの渦構造です。プラズマ中に磁場Bと電場Eが存在する場合、通常、プラズマはE×Bの方向に回転しますが、このプラズマでは中心部分の回転方向が反転しています。
図1 プラズマ中の渦構造
私たちは、プラズマの回転方向を反転させる原動力としてプラズマ中の中性原子の流れに注目しており、プラズマ中に存在する中性原子の流れを精密に測定する方法を開発しています。中性粒子の速度を測るにはドップラーシフトを利用します。ドップラーシフトとは、光や音などの波の発生源が動いていると、観測者は波源と異なる振動数を経験する現象のことです。普段の生活でも、救急車が通り過ぎるときに、サイレンの音の高さ(周波数)が変化するのを感じたことがあると思います。例えば、救急車が時速60キロメートルで走っているとすると、振動数800ヘルツのサイレン音は、近づいてきているときには約840ヘルツ、遠ざかっているときには約760 ヘルツに聞こえます。救急車のサイレン音の場合、通過する前後で周波数が±5%も変化するため、人間の耳でもその変化を感じることができます。逆に、サイレン音の周波数変化を測定すれば、救急車の速度を計算することができます。私たちの研究でも、これと同じ原理を用いてプラズマ中の中性原子の流れを測定しています。測定には、レーザー誘起蛍光(LIF)法と呼ばれる方法を用います。LIF法とは、レーザーを中性原子に照射することでエネルギーの高い状態(励起状態)へと遷移させ、その後、エネルギーの低い状態に戻る際に原子が発する光を観測することで、原子の情報を得る測定方法です。原子はその構造によって決まる特定の周波数の光を吸収して励起されますが、原子が運動している場合にはドップラー効果により励起周波数が変化します。ちょうど、サイレン音の変化から救急車の速度が分かるように、LIFスペクトルのドップラーシフトから、原子の流速が得られます。ところが、レーザーでドップラーシフトを測る場合、シフト量の大きさが問題となります。原子の流れによるLIFスペクトルのドップラーシフトは数十メガヘルツ(メガは100万)程度で、光の周波数に対して100万分の1程度と非常に小さなものです。この変化を先ほどの救急車の例に当てはめると、時速2センチメートルで走る救急車のサイレンの音の変化を測定するのと同程度となります。ちなみに、カタツムリでも時速数メートルで移動することができますから、測定しようとしているドップラーシフトがいかに微少なものであるかお分かり頂けると思います。このような微少なドップラーシフトを検出するため、励起レーザーを高精度に周波数較正するシステムを組み込んだ、高感度なLIF測定系を開発しました。図2は、この測定系を用いて中性原子の流れ計測を行う際に観測する3種類のスペクトルを示しています。
図2 中性原子のドップラースペクトルの精密測定
飽和吸収スペクトルとファブリ-ペロー干渉計の干渉縞は、励起レーザーの周波数較正に用いられます。飽和吸収スペクトルの中心付近に見える3つの鋭いピークのうち中心のピークの位置は、磁場の影響を受けずに430.2818テラヘルツ(テラは1兆)の位置に現れることが分かっているので、レーザー周波数の絶対値の基準となります。一方、励起レーザーのファブリ-ペロー干渉計出力は294メガヘルツごとに干渉ピークを示すので(実測)、周波数を掃引した時の“ものさし”として使うことができます。これら二つのスペクトルを組み合わせることで、励起レーザーの掃引周波数を絶対値較正します。図2には、プラズマの中心からそれぞれ±2センチメートルの位置で観測したLIFスペクトルを示しています。ちょっと見ると、二つのスペクトルは完全に一致しているように見えますが、ピーク付近を拡大することで約40メガヘルツのずれがあるのが確認できます。このドップラーシフトから、±2センチメートルの観測地点では中性原子が中心に向かって秒速15メートルで流入していることが分かりました。
図3 プラズマ中の中性原子の流れ構造
図3は、中性原子の流れ分布を、プラズマの画像に重ね合わせたものです。図中の矢印は、測定された中性原子の流れを示しており、赤矢印は反時計回りに回転する流れ、青矢印は時計回りに回転する流れを示しています。中性原子が周方向の流れ成分をもつのは、イオンと中性原子の荷電交換衝突によってイオンから回転方向の運動量をもらっているからです。観測された中性原子の回転方向は、イオンの回転方向と一致しており、プラズマ中心部で反転しています。このことは、中性原子とイオンが密接に相互作用していることを示しています.
この研究は核融合科学研究所 吉村信次助教、九州大学 田中雅慶教授との共同研究として、HYPER-I装置で行われたもので(LHD計画共同研究NIFS06KOAP016)、平成21年度プラズマ・核融合学会の第14回技術進歩賞を受賞しました。